弘前で藍染・草木染めから作品を作るSnow hand madeの二人【波照間島から弘前へ】

「弘前で活躍するsnow hand madeの2人の人生について知りたい 」

「一生大事にしたいアクセサリーを探している方」にぜひ読んで欲しい!

 

こんにちは!

Aomori & YouのMiyuです。Aomori &Youというメディアで青森の魅力を発信しながら、青森旅行をお助けする「青森旅コンシェルジュを運営しています。青森にホテルを作る事を目標に、夏に青森にUターンし日々奮闘しています。

 

今回は、弘前市で藍染・草木染めをアクセサリーなどの作品を作るSnow hand madeの佐々木亮輔さんと葛西由貴さんのお二人にインタビューさせていただきました。

波照間島で出会った二人がどうして染物・織物の世界に出会ったのか、波照間島から弘前へ移住した理由、そしてわざわざ県外から2人に染め方を教わりに来るわけなど紹介していきたいと思います。

 

 

波照間島で出会い、弘前へ 映画のような二人の人生

虹のマートの浜田大豊さんを取材させて頂いたときに、次誰を取材したらいいかという質問に一番最初に名前が挙がったのが、虹のマートの暖簾を藍染してもらったSnow hand madeのお二人。

以前から、bambooforestでSnow hand madeの作品は知っていたが、今回初めて工房兼自宅に伺い、取材させていただく事ができた。

 

生まれも育ちも違う二人が波照間島で出会い、そこの人や文化に魅了され、知を吸収し、モノづくりを始めた二人の人生は、なんだか映画を見ているような感覚になった。

 

Snow Hand Made
Snow hand made のお二人

 

Snow hand madeは作品に使う染料を自ら畑で作り、旦那さんの佐々木亮輔さんが草木染めと藍染で染めた糸や布を、奥さんの葛西由貴さんがアクセサリーなどの作品を作る。

現在は、青森県弘前市で活動するおふたりだが、二人の原点は弘前からは真逆の沖縄県波照間島にある。

波照間島で出会った二人だが、一度二人とも波照間島から離れ、それぞれ地元に戻った。

その後、二人とも波照間島に戻ったので、波照間【第一期】と【第二期】があると教えてくれた。

 

Snow Hand Made
お二人の作品

 

 

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佐々木亮輔さんの波照間島との出会い 【波照間島・第一期】

佐々木亮輔さんの生まれ育ちは横浜。

元々、おじいちゃんが沖縄県名護市出身で、戦前に島を出て佐世保の基地へ来たという。

大学卒業まで横浜で過ごし、普通に就活をしていたが、ふと大学4年生の頃に「学生というこの無責任な身分での時間があと1年しか無い。」と思い、衝動的にアメリカへ旅に出たと言います。

アメリカから戻ってきた頃に、ずっと石垣島に行ってみたいという思いを叶え、八重山諸島の離島を巡る一人旅で波照間島に出会ったそうです。

 

様々な島を巡る中、なぜ波照間島がいいと思ったのか伺うと、

「唯一、波照間島でだけ繋がりが出来た。」と言います。

「連絡先を交換する関係が作れたのが唯一、波照間島。縁がある気がしてそこに住みたいと思った。住みたいと相談すると、来なよ!と。それで、3月に大学を卒業して、4月に波照間島へ行った。」

 

就職をしないで、波照間島に行くという大きな決断がなぜできたのか伺うと、

亮輔さんは、「就活に疲れていたんだと思う。世の中に冷めていた。」と振り返ります。

「就活では、仮面を付けた偽りの自分のプレゼンを楽しんでいた。それが楽しかった半面、実は体に負荷がかかっていたんだと思う。」

だから、波照間島の人や自然に出会い、住む決断までできたと言います。

 

Snow Hand Made
取材で見せていただいた亮輔さんの藍

 

最初の波照間島での一年は、民宿で住み込みで働いていたそうです。

「何も考えず、毎日お酒を飲んで、遊んで、夜釣りをする楽しい日々だった。だけど、本気で波照間島に住みたくなって、ふと、20年後、30年後もこうやって雇われているのかなと思った。」と言います。

 

自分でなんかやらなければと思った亮輔さんは、波照間島を出て、横浜に戻り、働く決断をする。

「学生終わってすぐに波照間島にきた自分を痛めつけないと多分どこかで挫折すると思って、何かメンタル的にきつい事を経験するために一回、横浜に帰ろうと決意した。」

 

 

 

強くなるためにあえてつらい道を選んだ、横浜での4年間

 

横浜に戻った亮輔さんは、大手チェーン店の寿司屋さんと居酒屋の店長を掛け持ちをする生活。

販促、人事、オペレーション、地域との会議まで全部亮輔さんがやっていたと言います。

「めちゃくちゃ、大変だったけど、俺はこれを横浜に求めて、戻ってきた。」

と振り返ります。

 

「何年後に波照間島に戻ると期限を決めてた。この頃の経験が今を作っている。人間ってそうそう変われないと思うけど、それを変えれた場所。変えざる得なかった場所。」

冷めた気持ちのままじゃ出来なかった仕事だったと振り返ります。

 

最後は、笑いたくないという感情になり、死ぬ寸前で、辞めて波照間島に帰った。

 

 

 

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葛西由貴さんの波照間島との出会い 【波照間・第一期】

葛西由貴さんは、青森県弘前市出身。

由貴さんが高校卒業を卒業するころ、青森県は就職難だったそうで、

 

「県内に仕事がなくて、みんなが県外に行くか、進学で悩んでた時、私はなんでみんな経験もないのにこの仕事がしたいと言って、その道を選んでしまうのか不思議だった。いろんな経験をしてその仕事を選ぶのならわかるけど、なんの経験もないのに決断をすることができなくて、私は仕事も進学もしないという選択をした。」

 

しかし、それを学校側からは許してもらえなかったそうで、

「先生が面接だけはしてくれと言われて、必ず落とす会社を選ぶからと面接してみたら、羽田空港の検査の仕事に合格してしまった。」と言います。

 

 

地元が好きだから、行きたくなかったという由貴さん。

しかし、就職難で大きい会社に就職が決まり、家族が喜んでくれて、行かなければならない状態になったそうです。

 

東京で働き始めたが、空港の保安検査という人を疑わなければいけない仕事に人間不審になり、すぐ体調を壊してしまった。

 

仕事を辞め、地元に戻り、誰とも会いたくなかったが、何か変わらなければという思いがあった由貴さんは、お世話になった人に感謝を伝える事にしたそうです。

 

「弘前にいた当時、3年間バイトでお世話になった人が、石垣島に移住し、その人が東京に一人で住んでいるのが心配で沖縄の食べ物をよく送ってきてくれていた。

その人にありがとうを伝えることはできると思った。それはできる!やらなきゃと思い、一人で石垣島に旅行に行った。」

 

石垣島でお世話になった人が

せっかくここまで来たなら、日本の最南端を見てきたらいいよ」

と言ってくれ、波照間島へ行くことにしたのが由貴さんと波照間島との出会い。

 

Snow Hand Made
Snow hand madeの作品

 

何も決めずに島についた由貴さんは、送迎車が港に沢山待っている中、最後に残っていた車に乗り、そのまま何も知らないまま宿に連れてかれ、

夜ごはんを食べたお店で、民宿で働いていた当時の亮輔さんと出会ったという。

 

そこに一緒にいた女の子が島を出たいから、自分の代わりに民宿で働いてくれないか?

と言われ、何もしてなくて、変わらなきゃと思っていた由貴さんは、

これを機に変われるかなと思い、承諾。

次の日から民宿で働く事になったと言います。

 

島の事を全く知らなかった由貴さんを亮輔さんが星を見に連れて行ってくれたり、夜釣りなどいろいろ案内してくれたそうです。

 

Snow Hand Made
亮輔さんと由貴さんが波照間島で住んでいたお家の絵を見せてくれた。

 

実家には、旅行に行ってくると言って、1年戻らなかった由貴さん。

成人式も地元に戻ることなく、波照間島で。

民宿のおばあが成人式は経験した方がいいと言って、島の人と掛け合ってくれ、全部用意してくれたという。

島の成人式に島の子以外で、出たのが後にも先にも由貴さんだけ

方言であいさつしなければならない習わしで、波照間島の方言を覚えてあいさつをしたという。

 

 

島暮らしを楽しんでいた由貴さんだが、亮輔さんが島を出ることになり、

自分一人でやっていける自信が無く、一緒に出ることを決めたと言います。

 

 

絶対に島へは戻らないと決断し、弘前へ戻る。

Snow hand made
廃棄してしまうりんごの木を薪ストーブで使い、灰汁を藍染に使い、アルカリを取った灰を釉薬として板柳ののん窯で使ってもらうごみを出さないサイクル。

 

波照間島の生活では、テレビも見ていなく、携帯にインターネットも無い時代だったので、外の情報がほとんど入ってこなかったという。

「時間が知らないうちにどんどん流れて、二度と波照間島には行かないって思ったくらい怖かった。」と話す。

 

弘前に戻って、働いて生きていこうと思った由貴さんは、

弘前市のアンジェリックの二階のカフェで働く。

 

「毎日楽しかったけど、ただこれからもずっとこの仕事をやるのかなと。

自分がいなくても会社が回る。

こうしていていいのかなと思っていた頃、波照間島でお世話になった民宿のお嫁さんが、雑貨カフェを始めて、手伝ってくれないか?と言われた。」という。

 

その頃、子供さんに作ったものを送っていたそうで、モノづくりをしながら働いてほしいと誘われたそうだ。

 

「この先弘前で楽しくやっていくのもいいけど、経営者の元で、会社の仕組みを学んだ方が、自分で何かやろうと思ったときに、動けるんじゃないかと思って、可能性を見出すために波照間島へ戻る決断をした。」

 

 

 

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染物・織物に出会った2度目の波照間島生活【波照間・第二期】

 

同じタイミングで波照間島に戻った二人は、染物・織物に出会う。

 

元々、波照間島の美しい色を残すために写真を撮っていたという亮輔さん。

波照間島の色を写真じゃない方法で残せないかと思ったときに、第一期の頃からカセットコンロでハイビスカスを煮出していたこともあって、今度は染物で色を残そうと思ったという。

 

Snow Hand Made
亮輔さんが当時撮っていた写真をポストカードとして販売していたという

 

一方、由貴さんは、雑貨カフェのオーナーが何でもやらせてくれる人でお店にこんな物を置きたいと言ったら、いいものを使ってなんでも作らせてくれたと言います。

 

その頃、たまたま織物で作ったかばんを持っているお客さんが来店したのをきっかけに、オーナーから西表島に有名な染織物の先生がいるから教えてもらっておいでという事になり、

西表島の植物から生み出す染織文化を守る染織家・石垣昭子さんを訪れることになったそうです。

 

最初は、何にも知らない人を一から教える時間がないという事で、

波照間島に原始機を使える人がいるからまず織物の基本を教えてもらってから来なさいと言われたという。

 

そこで教わりにいった人が、その後工房メンバーになる2人だった。

その2人は、偶然にも亮輔さんと由貴さんが出会ったお店の方だったという奇跡。

 

そこで織り方を教わり、何本何本も家に戻ってからも織ったと言います。

織った物を先生にも見せに行き、本格的に教えてもらうために、4人で先生の所へ住み込みで合宿に行くことになり、

そこで糸芭蕉から糸を作ったり、芭蕉布を海ざらしなど一通り織物や染物について学び、原始的な事だけど、先生からしたら生活の一部で当たり前の事を合宿で教わった4人。

 

 

その後も、やり方を教えてもらうというよりは、とりあえずやってみなさいと課題をくれ、できたものを送っては、先生が展示会など色々な所に持って行ってくれたそうです。

 

Snow Hand Made
虹のマート用の藍染に作った型も見せていただきました。

 

 

そうやっていくうちに工房が必要になり、自分たちの手で工房も建てた。

業者を島に呼ぶとなるとお金も時間もかかるから、自分たちの手で空地の木を倒すところから行なったという。

 

作品作りだけでは生活ができないので、工房メンバーの2人が元々やっていた食堂を手伝いながら、モノづくりをしていた。

その食堂は、島の美味しいものを出すために冷凍食品は使わず、一から作っていたので仕込みに凄い時間がかかったそうです。

美味しいものを提供していたため、注文も増えていき、モノづくりをする時間が次第に少なくなっていき、いつまで食堂兼染織工房なんだろうねと話し合いに。

 

話し合いの結果、それぞれで頑張った方がいいのではという決断になり、

島に2軒も染織工房はいらないという事で、亮輔さんと由貴さんは島を出るという選択をしました。

 

次の拠点地は、どこがいいかと考えた時に、由貴さんの地元・弘前に行こう!となったそうです。

亮輔さんは、「島でなければ、弘前」だと思っていたそうで、城下町で手仕事が残っている弘前を次の拠点地へと決め、染物・織物に出会った波照間島での生活を終え、新しい地へ行くことを決意します。

 

 

 

波照間島での経験を弘前へ。

Snow Hand Made
Snow hand madeが使う染料

 

弘前へ引っ越す時に、2か月かけて日本を縦断しながら弘前まで旅をしたそうです。

「無意識にある引き出しを埋める旅」だったという亮輔さん。

日本各地の人工物から自然のものまで沢山見た経験が自分たちの引き出しを埋めてくれたと言います。

 

 

弘前で活動する拠点地を決める際に一番重要だった条件が、染物をするための「水」だったそうです。

井戸水がある土地を第一条件に見つけたのが、現在、工房兼自宅がある狼森。

 

 

その土地の文化を色で表現するSnow hand madeの草木染め

 

「弘前でやるなら弘前の植物でやらなければ、弘前にいる意味がない」と自分たちで染料となる植物を畑で育てたり、山に取りに行っているSnow hand made。

 

染料は買おうと思ったら、買える。それで染め物していたら、個性を出すのが難しい。

 

Snow Hand Made
鮮やかな色のSnow hand madeの草木染めの糸

 

Snow hand madeで使う染料のほとんどは弘前産。

自分たちで藍や紅花などを栽培している。

ムラサキ(紫根)は、自生しているものもありますが、レッドデータで、染料屋にあるものはほとんどが中国産。

Snow hand madedでは貴重な十和田で栽培しているムラサキ(紫根)を使用している。

 

Snow Hand Made
自家製の紅花餅

 

妖艶な蛍光ピンクの色は、紅花から。

アルカリ性で色が落ちてしまい、紫外線にも弱いが、この色に魅了され5世紀の頃から残っているという紅花染め。

この紅花の色ををいかに落ちにくくするかを亮輔さんは考え、伝統のやり方ではなく、金属イオンと結合させて少しでも持ちを良くしているという。

 

Snow Hand Made
Hirosaki Arts Pollinationの川口潤也さんの展示で使われたすべて草木染めの布

 

真っ赤な赤色は、日本茜から。

「平安時代のやり方を受け継いでいこうとは思っていないが、メリットがあるから使っている。」という亮輔さん。

国宝の鎧の紐にも使われているのが、日本茜。

鎧を修復をした当時、化学染料で染められた赤が退色してしまったが、1000年前の日本茜の色はそのまま残っていたことに感銘を受けた方が研究して出した文献を元に染めているんだそうです。

 

 

弘前産の染料の他に波照間島の色を紹介するためにも、波照間島の台風で倒れた木の樹皮を頂いて使っているという。波照間島の神様「ミルク様」が纏っている黄色い服も同じ染料が使われているそうです。

波照間島の文化をこの色を通して表現しているSnow hand made。

 

Snow Hand Made
波照間島の木の樹皮から染めた糸

 

波照間のムシャーマ (はてるまのムシャーマ) | たびらい
波照間島の神様 ミルク様

 

 

わざわざ県外からSnow hand madeに染め方を聞きに来るわけ

 

話を聞いていて驚くのが、亮輔さんの圧倒的な知識量。

綺麗な色を長持ちさせるために、歴史からそして化学から理解し、染めている。

亮輔さんは、「沖縄にいるときから、こんなこと誰にでもできるっていう感覚。」だという。

 

しかし由貴さんは、「どれほどすごい事をしているのか本人は分かっていない。」と言います。

「県外の人がわざわざ亮さんにどうやって染めているのか、聞きに来る。紅花の産地の人までもどうやったらこんな色が出せるのか知るために来る。それでやっと、誰にでもできない事をしていると気づく。」

 

「私はずっと隣でいい思いをしている。こんな綺麗な糸でモノが作れる。

私は、わざわざ県外からどうやっているのか聞きに来ることは凄いことだと思う。植物の事も全部知っている。いつも字が細かいレポートばかり読んで、いつ寝てるのかと思っている。」

 

Snow Hand Made
亮輔さんが東京の図書館から取り寄せて、夜な夜な読んでいる文献を見せてくれた。

 

 

「結果を求め上手くいかなくても、そこの化学をわかっていると、いろんなアプローチができる。

だから、中の成分を知りたい。なんでそれをやるのか、なんでその工程があるのか知っているか知らないかで、動きが変わってくる。

なぜそれをするのか、なんでこうなるのかという事をとにかく知りたい。

という亮輔さん。

 

 

普通の人は、一度綺麗な色がでたら、それで満足する。

しかし、亮輔さんは綺麗な色が出たら、どうしてこの色が出てるのかという探求心がある。

由貴さんが言うように、その探求心は才能だと思う。

染織家というより、研究家。現場でここまで科学まで理解している人はほとんどいない。

 

Snow hand made
藍染をする工房

 

 

その亮輔さんが染めたものを、由貴さんが作品とし完成させていく。

 

染めあがった色を見て、こうゆう形なら綺麗に見えるなとか。

こうやったら、自分が好きな形だなと考えながら作っているという。

 

「波照間では自然のものを身につけると魔除けになると言われていて、それがいいなと思って、お守りになるような、みんなが大事にするものを作りたい。」

 

Snow Hand Made
由貴さんが作り上げる一つとして同じものはない作品

 

「一つだけその人だけしか持ってない物を作るのがすき。」だという由貴さんは、自然が創り出す形をモチーフにして、唯一無二の作品を作っている。

 

オーダーメイドもやっていて、形見でもらったサイズが合わない指輪をお守りにしてあげたり、大事にしている石をアクセサリーにしたり。

その人の印象を見て、こんな色、形が似合うなと草木染の色を選んでいる。

大事にしてほしいから、お客さんに見せて雰囲気が違ったら、作り直すという。

 

 

Snow hand madeは、亮輔さんの由貴さんの二人だから、生まれる作品。

波照間島での生活が二人の軸となり、今では弘前で二人だけにしかできない事をしている。

 

部屋の壁に貼られていた紙にも書かれていて、取材でも特に印象に残ったのが、

 

「自分たちは、いつも面倒くさいことをやろうと。

楽して簡単な作りの物はお客さんにすぐに見破られる。だれでもできちゃったらなんの意味もない。時間かけてでもいいから、めんどくさいことをやって、こんなに値段するけどほしい!って思って貰って、お金を出してもらえると、大事にしていただける」

という言葉。

 

弘前に住んでいると、Snow hand madeの作品を身につけている人をよく見かける。

亮輔さんの探求心と由貴さんの大切に使ってほしいという思いが詰まった作品が、

多くを語らずとも彼らの作品から伝わり、みんなが大事に大事に身につけているんだろうなと思う。

 

 

 

これからSnow hand madeの2人がやっていきたい事。

最後にSnow hand madeのお二人がこれからやってみたい事について伺ってみた。

 

沢山やりたいことがあるが、「個展を増やしたい。」という。

「いままでは、県外でのクラフト展が多かったけど、コロナ禍でほとんど中止になった。

だから、自分たちが主催で個展でやりたい。」

 

これからの個展を計画しているという事なので、今から楽しみです!

 

 

 

 

Snow hand madeの亮輔さん・由貴さんまとめ

今回、弘前で藍染・草木染めでアクセサリーなどの作品を作るSnow hand madeの亮輔さんと由貴さんにお話しを伺いました。

 

素敵な二人という簡単な言葉だけでは、表現できないくらいの二人。

取材というよりは、二人の人生から自分がどう生きたいのかを考えさせられる時間でした。

自分たちの軸がしっかりとあり、自分たちの信じていることをSnow hand madeを通して表現している二人の作品は、オンラインショップや弘前市のbambooforestで買うことができます!

 

Snow hand made 基本情報

Snow Hand Made
bambooforestに並ぶ二人の作品

 

 

イベントや個展の情報は、Instagram から。

公式HP オンラインショップ http://snow-hand-made.com/?mode=f1
Instagram  @ykks58

 

 

 

弘前で藍染・草木染めから作品を作るSnow hand madeの二人【波照間島から弘前へ】” への1件のフィードバック

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