「青森から活躍するプロソフトボール選手・須藤志歩選手について知りたい!」
「青森からどうやったらプロソフトボール選手になれるのか知りたい!」
「ソフトボールが好きな人」にぜひ読んで欲しい!
こんにちは!
Aomori & You マネージャーのんたんです。
今回は、妻神和(のんたん)企画「青森から活躍するスポーツ選手特集」の第3弾として、女子プロソフトボール選手である豊田自動織機 シャイニングベガ 須藤 志歩選手へインタビューをしました!
残念ながらプロチームが青森に無くても、県外でプロ選手として活躍している選手がいます。この「青森から活躍するスポーツ選手特集」を通じて「夢・希望」を与えてくれる「スポーツ」の素晴らしさを、私の大好きな「青森」から発信できればいいなと思います!
「青森から活躍するスポーツ選手特集」インタビューのきっかけは、前回の記事からご覧ください ↓↓↓
青森県八戸初の女子プロサッカー選手【なでしこリーグ1部 ASハリマアルビオン 根本ひかる】
青森出身プロソフトボール選手「豊田自動織機 シャイニングべガ 須藤 志歩選手」とは?
さて、まずは豊田自動織機シャイニングベガで活躍する須藤 志歩選手のプロフィールから!
須藤 志歩(すとう しほ)
プロ歴:豊田自動織機 シャイニングべガ 6年目(2022年時)
ポジション:内野手(右投 左打)
生年月日:1999年1月12日
血液型:AB型・山羊座
身長:165cm
出身地:青森県 弘前市
出身校:弘前学院聖愛高等学校
国際大会経歴:2014年当時高校2年生「NTS女子中学生台湾遠征」、2017年当時19歳「第12回世界ジュニア選手権大会2位」
青森から世界へ プロソフトボール選手になるまでの道のり
高校まで青森にいながら、世界大会にも出場したことがある経歴の持ち主の志歩選手。青森からプロソフトボール選手になるまでの道のりを伺ってみました。
ーソフトボールはいつから始めましたか?
「ソフトに出会う前は、小さい頃から野球をやっていた兄達の影響で小学3年生から男子に混ざって野球部に所属していました。小学校の部活にあったバスケ、卓球をちょっとやってみたが、ダメで(笑) 他のスポーツもやってみたけど、やっぱり野球が好き!って思いました。」
ソフトボールを始めたきっかけは、北京オリンピック(2008年)でのソフトボール日本代表の優勝。
当時まだ小学生の志歩選手がテレビで優勝した日本代表の姿に感銘を受け、ソフトボールの道へと進みます。
中学校には、女子野球部が無かったこともあり、小学生のころから中学校のソフトボール部の練習に参加し、自然とソフトボールの道へ。
ー小学校で男子と一緒に野球をしていて、男女の格差はありました?
「田舎だったので男女めっちゃ仲良かった。良い意味で、“女子だからって関係ないからね“という監督で、練習は全部男女一緒のメニューだった。」
小学校の頃から、打てば長打だったという志歩選手は、小学校でも男子を抜いて、レギュラーでファースト・4番。その強さの根源を伺うと、
「小学校の頃は、練習後、走って帰ってお兄ちゃんと一緒に素振りを毎日していた。それと常にパパに走らされてたこともあって、小学校で握力40kg、身長160cmのパワー系だった。足の速さ、ソフトボール投げは一番。スポーツではなんでも一番だった(笑)」
小学校で握力40kg、160cmはポテンシャルが桁違いですね。そして、家族のサポートも大きかったといいます。今でも野球をやってきた父や兄たちが客観的なアドバイスをくれるのがありがたいと話します。
ーいつからプロを目指しましたか?
「小学6年のときには既に七夕の短冊に、『プロソフトボール選手になりたい』と書いていた。
当時北京オリンピックで日本女子ソフトボールが優勝していたのを観て、上野選手になりたいって書いてた。後から見て、あの頃から野球じゃなくてソフトなんだあと思った。」
中学一年生の時に転機が訪れる。
中学一年生から、県ソフトボールの選抜に選ばれ、北京オリンピック日本女子ソフトボール監督で青森県弘前市出身の斎藤春香さんと弘前で出会います。
斎藤春香さんは、「はるか夢球場」という自身の名前が名称と冠した地元弘前では知らぬ人はいない人物。その斎藤さんが弘前の職員となり地元に戻ってきたタイミングと、志歩選手がソフト部へ入部したタイミングがちょうど重なったそうです。
そして、齊藤さんのソフトボール講習会に参加していた時に見学に来ていたプロチームのコーチから個人ノックを打ってもらう機会があったそうです。まだ中学2年生だった志歩選手ですが「高校頑張って、うちに来な。」という言葉をすでに言われたとのこと。
「それから漠然とプロチームを目指そうと。青森だし、情報もなし、よくわかんなかったけど、、今のチーム(豊田自動織機 シャイニングべガ)目指して頑張った。」
高校は、県内の聖愛高校へ。
当初は、県外の高校へ行きたいと思っていたが「斎藤さんがいるんだよ、近くで見てもらった方がいいよ。」と友達や家族に説得され、県内の高校で頑張る事に。この選択がいい結果になったと振り返ります。
「本当にタイミングが良かった。野球終わって、ソフト始めて、そしたら齊藤さん来て、ソフト続けて、、、今思えば、小6の時のオリンピック見てたから、ソフトに興味が湧いた。それが無かったら、野球続けてたと思う。」
ー青森にいたときは、どういう練習がプロの道へ繋がったと思いますか?
「斎藤さんの指導は、高校で活躍するためではなく、プロに行った時に活躍するための打ち方、守備方法を教えてくれたことが今に繋がっている。普通に強い高校行ったとしても、自分はいつも感覚でやっていて、頭で考えるタイプではないから、この時に教えてもらえてよかった。」
と振り返り、当時の経験がいかにプロへの道へ大きく影響しているかが伺えます。
そして青森の特徴でもある雪が大きく体作りに関わっていたと言います。
「私は足が武器で、下半身でやっているというほど下半身が大事。雪道を走ったのが、今の足腰を作った。雪遊びを普通に何時間も子供の頃にやっていたのがでかい。必要な筋肉が自然についているので、関東の選手に比べれば馬力があると思う。」
ーこの練習はどこに行っても続けているというルーティーンはありますか?
「ルーティンとかは特にない(笑) その日の体のデータはケータイアプリにつけている。そのくらい。あんまり考えると逆にだめなので考えずにやってます。感覚的に生きているタイプ(笑) やっててわかってきたことが、試合前の準備は軽い気持ちでやって、試合が始まるとアドレナリンがバッと出る。」
長年やり続けて数値化するところはデータ化し、感覚的な部分は本能の赴くままに動くという、自分にあったものを取り入れるというプロ選手の思考は勉強になります。
ー青森時代の練習時間と現在プロの練習時間は?
「高校の時は近所に練習場が無いので練習は放課後から21時近くまでやっていた。
高校はキャプテンだったけど、早く帰れって何度も怒られていた(笑) 練習は、ほぼ反復練習。一生、打ってた。」
「現在平日は仕事終わりに、13時~18時半ごろまで全体練習。その後、個人でウェイトとかやって、20時頃に終わる。一週間のうち1日オフ。それ以外ずっと動いている。土日は基本的に試合や遠征。
シーズン中は、ほとんどプライベートなしでトレーニングしてます。」
野球、ソフトはサッカーに比べると練習時間が長いのは聞いていましたが、ここまでハードだったとは思いませんでした、、、
世界大会出場の経験や現在海外の選手と一緒に練習をしている志歩選手に日本と世界の差について伺いました。
ー志歩選手が感じる世界と日本のソフトボール業界の差は何ですか?
「練習時間が長いのが、日本の課題だと思います。アメリカだと、個人的な技量でどうにかなる。筋力もパワーもあって、一人一人が強いから、アメリカは強い。練習時間は、自分に充てる時間だから短い。それに比べて、日本は個人的な技量だとアメリカに勝てないから、チーム力でカバーしないとダメ。だから、連携の練習や全体で合わせる時間が必要な分、練習時間が長い。それもあって、日本人の方が故障が多い。しょうがいないけど、時間の使い方が下手だと思う、、、。」
野球と同じくらいソフトボールリーグが盛んなアメリカ。志歩選手が16・19歳の頃に出た世界大会では、アメリカまでの試合は勝利したが、アメリカ戦ではボロ負けだったそうです。アメリカの選手は楽しんで試合してたのが印象的だったと言います。
ー練習後のリフレッシュ方法、OFFの日の過ごし方で好きなことはありますか?
「基本的にアウトドア!今住んでる愛知県でも、川か海に行くか、、、あとはウィンドーショッピング!家具を見るのが好きなので、買わないけどニトリ、IKEAとかに車で1時間かけて行ってます(笑)」
「青森でもプロになれる選択肢を」 須藤志歩選手が思う青森のスポーツ業界の課題
ー青森のソフトボール業界がもっとこうなったらいいなと思う事はありますか?
選手に向けて語ってくれたのが、
「青森で強くなってほしい。県外に行きたいのはわかるけど、青森に残って欲しい、、、。
青森にいると、みんなで応援してくれる。だけど、私のように県外へ出たら、プロに行ったとしても青森県民が頑張っていることを知らない。だから、寂しいなあって思う。青森でプロを目指せる環境を作れたら、青森に残る人も増えると思う、、、。」
青森の環境は、
「青森県は、体つきもよくて、良い選手がいっぱいいる。だから、そういう人が頑張ったら絶対いいのにと思う。
ただ、高校で辞めてしまう人がほとんど、、、。青森だと“プロになる“っていう選択肢がある人がいない。私もどこの大学が強いとか知らなかった、、、。プロを見る機会だったり、大学の試合を見る機会が圧倒的に少ない。東北にもないけどソフトの実業団と試合できたり、青森でプロを目指す環境があれば東北からもっといい選手が出てくるのにと思う。」
と実体験を含めて、青森県選手のポテンシャルの高さを知っているからこその思いと青森のスポーツ業界の課題を語ってくれた。
ー青森でプロを目指したい子供たちにメッセージをお願いします!
「行動した方がいい!県外の大学の試合や社会人の試合を観に行った方がいい!
それと全国のソフトボールの合宿に参加したりして、全国レベルを見ることをしたらいい!
私は一人で三重県の合宿に参加しに行ってた。そしたら、プロのコーチや監督さんが青森まで見に来てくれた事もあった。」
「全国のレベルを知り刺激を受けることで、青森に帰って自分がサボってる間に、他の人は練習してるんだろうなと思ったら頑張れた。強い選手がずっと頭の中にいたから青森にいても頑張れた。」
環境のせいにするのではなく、青森でも出来ることはたくさんあり、その為には時々外に出向き、課題を青森に持ち帰り努力する。夢を叶えてきた志歩選手の言葉には説得力がありました。
ー今後の目標はなんですか?
「来年は、JAPPN(日本代表)に入ること。日本代表として世界選手権に出たい!」
今年は選考会に呼ばれたが、選考会がコロナの影響で無くなってしまったそうです。
「来年は選考会があることを期待し、今シーズン残りのリーグ試合で結果を出していきたい」と意気込みを語ってくれました。
青森県出身プロソフトボール選手 須藤志歩選手の好きな青森
今回も合宿で青森に帰省していた志歩選手に青森の好きな所とおすすめの場所を伺ってみました。
ー青森のどんなところが好きですか?
「まったりしてる空気感が気持ち良すぎる。ゆっくりできるのもいい。」
ー青森のおすすめの場所は?
「絶対!中みそ!中みそは、今回帰省し数日の中で2回も食べた(笑)
あと、帰って一発目ににじまに行って、すじこ買う!虹のマートの雰囲気が好きだから帰省したら毎回行く。虹のマートのハマダの筋子が大好きだから、青森遠征で選手のみんなにおすすめして、筋子をホテルに持ち帰って、みんなでホテルのご飯で食べた!」
この二つを即答した志歩選手。
中みそとは弘前のデパート・中三の地下のフードコートにあるラーメン屋さん。弘前のソウルフードである中三の味噌ラーメン、通称「中みそ」は今ではカップラーメンができたほどの人気!
そして、弘前駅前にある「虹のマート」は、弘前市民の台所と言われる津軽の食が集まる市場。そこの中にある「ハマダ」の筋子が美味しいんです!
ぜひ志歩選手が帰省したら必ず行く!というお店に行ってみてください♪
「青森から活躍するスポーツ選手特集」プロソフトボール選手・須藤志歩 まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、青森県弘前市出身プロソフトボール選手【豊田自動織機 シャイニングべガ 須藤 志歩選手】にインタビューさせていただきました。
チームには欠かせないムードメーカで天真爛漫な志歩選手。
「タイミングが良かった。」と語る志歩選手ですが、プロの道へ行くために、小さい頃から家族と一緒に切磋琢磨しながら努力を続けていたからこそ、「プロ」として現在活躍できているんだな。と取材を通して分かりました。一人でも県外に飛び出し、地元に持ち帰り努力し、プロという夢を叶えた彼女の芯の強さは今も健在で、日本代表になる目標へ直向きに努力し続けている志歩選手をこれからも応援していきたいです!!
ぜひ、志歩選手を応援したいという方は、インスタグラムのフォローを!@shiho.loco.cbe
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須藤志歩選手が所属するチーム「豊田自動織機 シャイニングべガ」のホームページは、【こちらから!】